生駒山(いこまやま)

 昔、男が散策しに、気の合った親しい者同士で、和泉の国へ旧暦二月(太陽暦では三月)頃に行った。

河内の国、生駒の山を見ると、曇ったり晴れたり、に立ったりとどまったりする雲がやまない。

早朝から曇って、昼は晴れた。雪がとても白く梢に降っている。

それを見て、例の行く人の中で、たった一人詠んだ。

  昨日今日雲の立ち舞ひかくろふは 花の林をうしとなりけり

 (昨日今日、雲が立ち舞って隠れているのは 花の林をつらいということなのだなぁ)

 

 

 

時期的には、寒の戻りのころ、大阪には雪が降ったり、まれに積もったりする。

山は冠雪する。小学生や中学生の時、耐寒登山で、生駒(642m)に登ったり、

金剛山(こんごうざん、1112m)にはアイゼン着用か登山靴で登ったものだ。

この段の景色は、遠くから生駒山を見て詠んだもので、大阪の早春の景色を現していて、よくわかる。

黒っぽい雪雲のかたまりがどんどん空を飛び、衣笠のように山にかかる。

昼からからっと晴れた明るい空に、白い雪をかぶった生駒山が出現する。

花の林を「つらい」というのがわかりにくいが、雪の頭といえば、和歌でも漢詩でも白髪のことだ。

白楽天は、白い花を雪にたとえたり、雪の頭を詠んだりして、嘆老の詩をたくさん作った。※

 

大阪府は昔、摂津国(津の国)河内の国和泉の国に分かれていた。

この三国の境目が三国ヶ丘で、地名にも、JRの駅名にも残っている。

津の国和泉の国境目だから、。中世に自由都市として知られた。

 

平安時代の初期の旅程はわからないが、平安中期以降には熊野詣でが盛んになったので、

そのコースは大体わかっている。淀川を船で下って、今の天満橋近辺で船を降り、

牛車ないしは馬、または徒歩で上町台地を南下して、

四天王寺(四天王寺ワッソはどうなるんでしょう?)に参詣し、一泊して、住吉に向かう。

そこから堺を通って、大鳥へ向かった。大鳥はもう和泉の国だ。

 

今、高架になっている南海本線に難波(現代の地名では「なんば」)から乗って、堺へ行く時、

外をみていると天気が良ければずっと生駒が見えるが、

新今宮付近(天王寺の西)では進行方向左手に、

さらに南下して住吉や住之江あたりでは進行方向に対して左手後方に見ることになる。

堺を越え、和泉まで行ってしまうと、生駒山は遠すぎて、雪が積もったなんてわからない。

和泉の国へ向かうのに進行方向と反対に振り返って歌を詠むのも変なので、

住吉に着くまでの話だろう。

現代では大阪市内は建物が多すぎて、もう一つ実感が湧かない。

今、この感じを味わおうと思ったら、晴れた日に淀川の枚方あたりから寝屋川付近の堤防を歩くか、

京阪電車に乗って、樟葉(くずは)あたりから天満橋までの景色を見るといい。

生駒が目の前にどーんと控えている。

 

 

 

伊勢物語 2001年12月25日作成 内田美由紀

(※和漢比較文学第11号『伊勢物語第67段「花の林をうしとなりけり」と漢詩について』に詳しく説明したので、できればそちらもご覧ください。)

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