住吉物語 T (姫君住吉へ)

尼君などを連れて河尻をすぎると、

興味深くもすれ違う船に乗っている者達が、不思議な声々で「夫も決めない岸の姫松」と歌ってこいでいくのも慣れない気持ちがして、しみじみとする。

の方は霧でふさがってぼんやりとも見えず、比叡の山だけほのかに見えた景色は、物思いがない旅の身でさえきっとしみじみとするだろう。

まして、尊い親に別れ、情けがあった兄弟を振り捨て、どこへ行くのだろうと思い続けなさる心の中は、どれくら悲しかったであろう 姫君は

 故郷がつらいので浮舟ののように故郷を離れ、心一つを物思いにこがれ舟にこがれて行くことだ

と心細そうに、歌を詠みなさったので尼は

 住吉の尼となって過ごしたが、これほど袖を濡らしただろうか、いや濡らしはしない

などと言いながら住吉に行ったところ、住之江といってとてもすばらしい所に

茅葺き屋根で板廂のある家で所々住み荒らしたのが、海が入り江になっているところに張り出しているので、すのこの下に魚などが遊ぶのも見えて、

南は一かたまりの村がほのかに見え、苫屋(苫でふいた粗末な家)に海草を刈って干し、(芦でふいた)そまつな家に心細そうに煙が立ちのぼる景色は、薄墨で描いた絵に似ている。

東には垣根に朝顔がかかって、岸にはさまざまな花や紅葉が植え並べてあった。

西には海がはるばると見渡せて、並び立つ松の木の間から、をかけた船々淡路島に行き通う様子も、波にただよう漁士の小舟もはかなく見えて、

日が入るのは

海の中に入るのかと疑われる。

わざわざでなければ、人など来るはずもない。静かでしみじみとした住処である。


姫君が難を逃れて、尼君と共に住吉の住之江に逃れる場面。

淀川を漕ぎ下ってきたのなら、比叡の山が見えるのは、

枚方(ひらかた)寝屋川(ねやがわ)あたりまでぐらい。川面に出ると意外と遠くまで見える。

しかし大阪に入って京橋近辺でみえるかどうかは、距離もあり、かなり難しいと思う。

川尻は土佐日記にも出てくるが、昔の大阪の地名で、阿倍野の姫松も近い。

ただし、姫松は現在の地名で、この当時ならばおそらく、海岸線に平行して南北に横たわる上町台地の

崖の上に生えている松林を岸の姫松と呼んでいただろう。

古地図などで見ると、阿倍野から帝塚山、住吉、堺にかけてずっと松林が連なっていた。

今でも住吉高校のグラウンドやあちこちの神社や祠の横などに松が残っていたりする。

 

今の住之江はあまり景色が良くないが、西に山がないので、

なんとなく空が広くて西日が射して海の中に入っていくときの感じはよくわかる。

よく窓から西日やその時間帯の景色を見たものだ。すべてのものが金色に輝き、長い影を引き、

そしてだんだん金色からに変わった大きな太陽が沈んでいく。

昔の人が西方に極楽浄土があると信じたのも春から秋の夕方の景色を見れば、当然と思うだろう。

建物の真横から黄金色の西日が当って、後ろに長い影を引く時間帯が好きだった。

 

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