武蔵鐙(むさしあぶみ)

昔、武蔵にいる男が、京にいる女の元に、

「申し上げれば恥ずかしい。申し上げないのなら苦しい」と書いて、

上書き(手紙の表書き)に「武蔵鐙」と書いて寄こしてから、音信不通になってしまったので、

京から女(が歌を贈った)

武蔵鐙さすがにかけて頼むには とはぬもつらし とふもうるさし

――武蔵鐙は、さすが(鐙につける金具)にかけるように、さすがにやはり、当てにするには、

安否を尋ねてこないのも冷たくてつらいし、安否を尋ねてくるのもわずらわしいものです――

と(手紙に書いて)あるのをみてなぁ、(男は)耐え難い気持ちがしたことだ。

問へば言ふ問はねば恨む武蔵鐙 かかる折にや人は死ぬらむ

――安否を尋ねれば(うるさいと)いう、安否を尋ねなければ恨む 

武蔵鐙のようにこんな(両方どっちつかずの)ときに人は死ぬのだろうか――

伊勢物語 第十三段 2009年6月13日作成 内田美由紀


武蔵鐙は、留守文様で印象的なものを見たことがあって、いかにも関東好みだなあと思った。

留守文様とは、人物を描かず、特定の事物だけを描いて、その段とわかるようにした、工芸品に良く見られる手法のこと。

鐙といえば、思い出すのは、埴輪の馬の写実的に造ったもので、鞍はもちろん鐙まで表現されていて感動したことがある。

 

阿部俊子氏は、武蔵鐙が古今六帖の「さだめなくあまたにかくる武蔵鐙いかに乗ればか踏みは違ふる」を踏まえているという。

東国で馬具職人が技術を伝え、名産とした、と書いておられる。

 

関東は、昔、牧があり、馬が走り回る、アメリカ南西部みたいなニューフロンティアだったわけだ。

そこで、男は現地妻を得て、京の女へ報告した。

ちょうど源氏物語の明石の巻みたいな展開で、源氏も明石の上を得て、紫の上に報告の手紙を出すのだが、

源氏物語を読んだときは、なんて無神経な男!と思ったが、よくあることだったのかもしれないし、

出典は伊勢物語だったのかもしれない。

ただ、伊勢物語の京の女とは違い、紫の上はとてもお行儀がよい。一夫多妻の妻の見本みたいな返事をする。

 

平安和歌の伝統としては、「頼む」は相手を当てにすることだし、

「つらし」というのは大体相手がつめたくて辛いという文脈で使う。

歌のほうは、このように伝統をちゃんと踏まえているが、

なんとなく訳しにくいなあとこの段を避けてきたのは、「きこゆればはづかし(申し上げれば恥ずかしい)」の「はづかし」の訳だった。

古くはこの言葉は、こちらが恥ずかしくなるほど相手が立派、というときに使った。

自分が(みっともなくて)恥ずかしいという意味になるのは、源氏物語の用例からぐらいで、それも相手が立派という前提があっての文脈ではなかったか

と、歌がとても伝統的なだけに、?????な気分だ。

明石の巻を見ても「はづかし」が目に付いて仕方がない。

ともあれ、付き合っている、ないしは付き合っていた相手に、自分のものにした他の女の話をされるのは、怒!

なのは、女としては誰しも同じかと思うので、

東国へいってしまった男に、いまさら怒り狂うのもあほらしいというスタンスの京の女に同情いたします。

なんというか、一般的に、男の人ってそういうのは、あんまりわからないのだろうか。

「若くてカワイイ子と付き合うんだ」とか何とか言われてどう反応しろって?

嫉妬に狂うとか、化けて出るとか、しても逆効果というか無駄というか美的でないような気がして。

・・・・・・六条御息所ってそういう意味ではパワフルで、根は正直な人なんでしょうねえ。

伊勢物語 第 十三段 2009年6月13日作成 内田美由紀