雪 月 花

 

内田美由紀のオフィシャルサイト     

 

ご案内

ギャラリー

プロフィール

論文について

大学生用リンク

高校生用リンク

教員用リンク

古典文学リンク

今月のひとりごと

よろず相談処

伊勢物語

珮  

  

 

 【7月の独り言】

   江戸時代に描かれた伊勢物語の絵巻では、業平が意外に身をやつしたような服装で描かれる。

 もちろん伝統的な伊勢物語絵の系譜を引く俵屋宗達が描いた絵では優雅な直衣か狩衣を着て、やわらかそうな丸く高い(よく源氏物語絵で光る君がかぶっているような)立烏帽子をかぶっているが、

もっと時代が下ると、やはり身分制度が厳として存在していたからであろうが、当時の時代の身分に合った装束を着せる傾向がある。

 たとえば、山科の禅師の宮にでかけた藤原常行が、三条の大行幸のときに間に合わなかった紀の国の千里の浜の巨岩を随身や舎人に山科の宮に運ばせ、業平の歌を付けて宮様に献上するという段では、

(登場人物が男ばかりだし、庭に滝を落としたり岩を運んだりするので、なかなか武家好みの絵柄だ)

 東京国立博物館蔵の伊勢物語絵巻を見ると、宮様は僧衣を着て、常行は直衣に立烏帽子だが、業平は狩衣に折り烏帽子(もみ烏帽子か引き立て烏帽子?)を被っている。

 絵としては、山科の禅師らしき僧、右大将常行らしい烏帽子直衣の男、右馬頭業平らしい狩衣折り烏帽子の男、巨岩を運んできた随身・舎人らが、滝や梅の花の咲く庭とともに、描かれる。

 物語では常行の姉・文徳女御たかきこの法事の帰りとなっており、それなら貞観元年正月で、業平は散位(つまり無職)で六位、常行は従五位下右近衛権少将だった。しかし物語の中で「右大将常行」となっていて、右大将になったのは貞観八年十二月で、どうもそれ以後に書かれた話であるようだ。

 つまり、過去の話を後から書いた話なので、官位は書いた時点のものになっている。常行が右大将になった貞観八年十二月時点で、常行は従四位下参議の公卿であった。業平は従五位上右馬頭つまり武官である。

 三十六歌仙絵でも、業平は冠直衣のものもあれば、巻き纓の冠に矢の入った胡籙を背負った武官の装束で描かれたりすることもある。

 行平は娘を清和天皇の後宮に入れて、彼自身も清和の近臣であったので、中納言になった。

 業平は、行平よりも早く亡くなったこともあり、在五中将と呼ばれたように、武官で終わっている。

 江戸時代であれば、やはり、行平は公卿で、立烏帽子に狩衣なのだ。それに対して、業平は武官として扱われるようになっていく。

 ただ、業平も女性とのからみでは、たいていの絵で立烏帽子を被っている。それは昔の優雅な王朝絵巻の影響かと思う。 

 

 

Copyright(C)2019 Miyuki Uchida All Right Reserved.