【論文】
2005.3 伊勢物語「筒井つの」考―龍田道と関連して― 『百舌鳥国文 第十六号』
筒井筒のページをちゃんと論文にしていなかった!と思って書いた論文。
以前から気になっていた顕昭の『袖中抄』の「筒井つの」をからめて書きました。
私の地歴フリークを知らない方には、少し”筒井津”は唐突かもしれません。
2004.11 土佐日記「わだのとまりのあかれのところ」
『中古文学 第七十四号』
桜の花盛りにや生駒山の頁を作ったり、1993の『花の林をうしとなりけり』を書いた時に、
”業平はどこをどうやって和泉まで行ったのか”が気になって河内を調べて書いた論文。
平安時代の地形がうっすらと透けて見えるような、気持ちがしました。しかし、
土佐日記という足かせがあり、摂津の地形に展開できないのが若干不満でした。
なお、この論文は中古文学に載る前に、阪大で行われた関西部会で口頭発表しました。
この発表は、パワーポイントを使ったり、カラーコピーに散財したり、とそれこそ
私の地歴フリーク・パワー全開でした。その夜の満月と同様にいい思い出です。
2001.11
「伊勢物語『皇太后宮越後本』の本文について」 『王朝文学の本質と変容』[散文編](和泉書院)所収
「『小式部内侍本』の本文について」の姉妹編。卒業論文を一から書き直したものです。
皇太后宮越後については、『伊勢物語に就きての研究』補遺篇で、
紫式部の娘、藤三位である可能性があげられています。
1997. 3 「伊勢物語 『小式部内侍本』の本文について」 『中古文学創立三十周年記念臨時創刊号』
小式部内侍は、もちろん和泉式部の娘です。
散逸した小式部内侍本の残存章段群の本文を他本と比較して、その特色を述べた論文。
なお、これは、元々は修士論文に書いたテーマでしたが、根本的に書き直して、
懸賞論文に受賞しました。しかし、転勤と引越で受賞の連絡が遅れ、勤務等の事情で
授賞式に行けなかった上、文化祭準備で頭を強打して、
ちょうど授賞式の日に頭蓋骨のレントゲンを撮った記憶があります(泣)。
1994. 3 「伊勢物語 第94段『千々の春 ひとつの秋にまさらめや(大島本)』」『百舌鳥国文 第十二号』
源氏物語の春秋論争がおもしろいと思っていた頃に、勢語の春と秋の異同を見つけて、
書いた論文だった(?)と思います。
1993. 7 「伊勢物語67段『花のはやしをうしとなりけり』と漢詩について」 『和漢比較文学 第11号』
花の林をなぜ「憂し」と思うのか、という素朴な疑問から、漢詩を
漢詩部類や中国出版の元稹集までひっくり返して調べた論文。書き直しの際には
和漢比較文学の先生方にいろいろアドバイスいただきました。ありがとうございました。
発表では蓋(きぬがさ)を「ふた」と読んでしまって穴があったら入りたかった思い出も(笑)。
1991.10 「伊勢物語通具本を疑う」 『王朝の文学とその系譜』(和泉書院) 所収
『皇太后宮越後本』や『小式部内侍本』の本文について書くためには
通具本について研究する必要がありました。
1989.10 「顕昭『古今集注』所引の伊勢物語本文について」 『百舌鳥国文 第9号』
顕昭は歌人としてはどうかとは思いますが、学者としてはとてもすばらしく、
古典研究するのに、やはり注釈からというのは王道かと思いました。
伊勢物語研究に、本文研究から入っていった私がいうのもちょっと変な話ですが。
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