通ひ路の関守

 昔、男がいた。(京都の)東の五条あたりに、とてもこっそり(女のところへ通って)行った。

(そこは)秘密であるところだったので、

(白壁のつもり)

 

門からも入れないで、子供らが踏み開けた築地(土塀)の崩れから通ったのだった。

 人がたくさんいるわけではないが、(男が通う)回数が重なったので、

家の主人が聞きつけて、その通い路に毎夜、(警備の)人を置いて、守らせたので

                         

(男は)行くが、逢えなくて、帰ったのだった。さて(男が)詠んだことには

  ひとしれぬわが通ひ路の関守は 宵々ごとにうちも寝ななん

  (ひと知れず私が通う、通り道の関所の番人は

  毎晩ちょっと寝てしまっていてほしいものだ)

と詠んだので、(女は)とても心を病んでしまった。主人は許してやった。

 二条の后(高子、たかいこ)にこっそり参上していたのを、世間の評判があったので、

兄弟達がお守りになったということだ。


土塀の崩れは、昔、奈良に遠足へ行った時よく見たが、白い上塗りの下は

藁と混ぜた黄色い土で、その中は、瓦が積み重ねてあったが、あれはどこでもそうなのだろうか?

きれいな土塀では確かめられないから、それはわからないけれども、

住吉大社や阿倍野の古い家の土塀を見ると、一番上の瓦が重いこともあって

地震や台風などで、倒れたり崩れたりすることは意外にあるようだ。すぐ補修するからめだたないけれども。

それに、道路に面した長〜い塀は出入りに不便なので、

(ちょうど生徒が校庭の塀を乗り越えたり、柵を広げたりして、近道を確保するように)

下仕えの子供たちが通り道を作ってしまったりするのはわからないでもない。

昔も、よくありがちなことだったんだろう。

(それにしても、ちょっと無用心ですよね。どちらも)

 

伊勢物語を最初から読んでいくと、最初のほうに集中して、

後人の注であると言われている「二条の后・・・・・・」の部分が非常に目に付く。

第三段、この第五段、そして、

第四段は後人注はないものの、最初から、相手の女性は二条の后を前提として書かれている。

第六段に至って、とても長い注がつき、兄弟の基経や国経に見つかり取り戻されたとある。

この結果、第七段からの東下りに入っていくという並びになっている。

伊勢物語 2002.5.19 作成 内田美由紀