地歴探訪 古代の大阪       


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現代の歴史の本で、江戸時代以前を扱っている地図を見たとき、その精度が簡単にわかる目安があります。

それは大阪の海岸線大和川です。

現在の大和川は、、1704年(宝永元年)に西向きに開削されたものです。

それまでは北ないしは北西に向かって流れ、淀川と合流していました。大和川の付け替え参照。

また、現在の大阪(湾)の海岸線は、多くの埋立地によって凸凹していて、中でも南港の埋立地は、非常に大きく大阪湾に突出しています。しかし、巨大な埋立地南港も、1960年代にはまだ存在しなかったのです。

大阪はそれ以前の時代でも、大きく姿を変えてきました。大阪市文化財協会「市内の遺跡案内」参照。


縄文時代…高槻や吹田の低い部分や北河内・中河内の大部分は河内海。鯨の骨が出土。

弥生時代…上町台地から砂州が伸びて(現在の崇禅寺を越え)、出口が狭くなり淡水化して、河内湖となる。

古墳時代…大小さまざまの古墳。支配者による、堀江などの伝説の治水工事。

飛鳥時代…天皇や豪族達による支配による建造物。前期難波(なには)の宮の建造。

奈良時代…副都。後期難波の宮。

平安時代…住吉神社・四天王寺参詣。熊野詣の経路(サイト神奈備にようこそ熊野古道参照)。


      2000.12.13作成  2008/03/25 更新    地歴探訪   伊勢物語内田美由紀)