『東区史』第1巻口絵 四天王寺周辺

四天王寺周辺で、上から順に見えるものについて資料をあげていきます。  →地図を見る

は私に付けた注です。  2001.4.1作成 2008年04月14日 更新  伊勢物語


1、天王寺カリ堂 舎利堂 ※カリ堂は太子堂の誤写か。今も生野区に舎利寺という地名があり、舎利勝尊寺という寺がある。

南岳山舎利寺 舎利寺村にあり。今、禅宗黄檗山派初めの開基聖徳王 中興木庵和尚。

夫当山は聖徳太子の草創也。むかし此の里に生野の長者といふ者あり。長者が子生質唖なりしにより父母大に悲嘆し神仏を祈る事浅からず。太子これを風(ほの)かに聞召され長者が子を召して宣ふは予が前生にて汝に……(中略)……これによって一宇の寺を建立し舎利寺と号す。生野長者が旧棲は此の舎利寺村也。星霜累々多伽藍も荒廃し、漸太子堂一宇存在せしが、寛文年中 将軍家より黄檗山木庵和尚へ此の旧地を賜ふ。延宝三年悦山和尚今の如く新に建営ありて舎利寺と号し木庵を中祖とす。(『摂津名所図会』)

2、百済寺 ※堂ヶ芝廃寺→大阪市文化財協会の「市内の遺跡案内」大阪市南東部を参照。

同廃寺(堂ヶ芝廃寺)址から出土する瓦は、飛鳥後期の山田寺系の単子葉弁文を最古の例とし、四天王寺・法隆寺・難波宮の瓦とも同笵のものがあり、この寺がそのころに「官寺」的な取り扱いをうけていたことを物語っている。このような礎石と瓦のあり方から、本廃寺(堂ヶ芝廃寺)は摂津の百済寺として、百済王氏の定住後にその氏寺として建立されたと考えてよい(『古代の難波』吉田晶氏125〜126頁)

百済寺 百済野の中にあり。今、字を堂ヶ芝といふ。(『摂津名所図会』)

3、申庚 南門土塔町超願寺是之 ※庚申を申庚と誤る。朱書き入れは土塔塚と超願寺とを混同したものか。摂津名所図会の挿絵の四天王寺伽藍図で南大門前に土塔塚と土塔宮が見える。超願寺も庚申堂も今もある。  

庚申堂(正善院) (『大阪府の歴史散歩 上』 55頁)

庚申堂 南大門の南にあり。青面金剛 三申 梵天帝釈 四鬼 薬師如来 如意輪観音 地蔵菩薩等を安置す。(『摂津名所図会』)

土塔古跡 天王寺門土塔町超願寺これ也皇太子の御時、震旦国より渡りし経論烏有を恐れて土塔を築て蔵め給ふ。後世、寺となして南岡山土塔寺と号し、…(中略)…竹本義太夫墓此寺にあり。

4、大宝六年 荒陵山 今ノ茶臼山 

5、四天王寺  

 聖徳太子がこの上町台地に四天王寺を建立したのは、593(推古天皇元)年である。この寺院は、わが国最古の官寺として知られ、山号を荒陵山と称し、いずれの仏教宗派にも属さずに和宗を名のり、伽藍配置に大きな特色をもっている。「四天王寺式」とよばれるこの様式は、中門(仁王門)・五重塔・金堂・講堂が南北一直線に並び、中門と講堂を結ぶ回路が五重塔と金堂を方形に囲み込む形態となっている。   飛鳥期に創設された当初は、敬田院・悲田院・施薬院療病院の四箇院からなる大寺院であったが、このなかで敬田院が信仰の中心として現在の寺域に受け継がれ、研究施設の勧学院・奉賛会・四天王寺学園を構成している。 (『大阪府の歴史散歩 上』 53頁)

6、三条中之小道  ※これが四天王寺の寺域の境界であることを、大阪歴史博物館の講演会で聴いた。しかし、ここが三条ということはどこが一条だったのか。

7、療病院

 四天王寺の四箇院のひとつ。

8、栴ノ橋     

9、施薬院

 勝鬘院(愛染堂) 大阪市天王寺区夕陽丘5−36 記録によれば、593(推古天皇元)年、聖徳太子が敬田院・療病院それに悲田院からなる四天王寺を創建したと伝えており、施薬院の地が今日の勝鬘院である。この寺の名称については、太子が勝鬘経をここで講ぜられたところからきている。金堂に本尊愛染明王が安置されているので、愛染堂ともとばれている。(『大阪府の歴史散歩 上』 49頁)

 勝鬘院 西門の北西にあり。愛染明王 安置す。太子この道場に於て勝鬘経講讃あり。故に名とす。(摂津名所図会)

10、毘沙門

 毘沙門堂 (摂津名所図会に挿絵)

 乾社(いぬいのやしろ) 天王寺村にあり。如意山神宮寺と号す。 毘沙門天 長(みたけ)二尺七寸脇士吉祥天女禅賦師童子共に太子の御作。(摂津名所図会)

11、合坂水 ※位置としては清水寺(摂津名所図会にいう新清水寺)。一心寺があるはずの位置より北側に描かれている。 

 相坂清水 一心寺門前の南にあり。此辺七名水の其一箇也。小坂(おさか)清水ともいふ。清冽にして四時増減なし。此所の用水とす。茶に可なり。(摂津名所図会)

有栖山新清水寺 天王寺の西にあり。初めは有栖川寺と号す。むかし斎宮女御、難波の祓所田蓑島にてありし也。洪水の時此有栖川に修し給ふ。…享保年中、新清水寺となる。(摂津名所図会)

星光学院と大阪府立夕陽丘図書館の間に広くゆったりとした道がある。この坂道を清水坂とよんでいる。市内で唯一の滝がある寺として有名な清水寺の北側にあるところからこのように命名された。この道は途中で愛染坂と交わっている。 (『大阪府の歴史散歩 上』 48頁)

12、源空庵 今の一心寺

 一心寺 この寺院は、法然上人が1185(寿永4)年の春、四天王寺西門の西側あたり、古来「荒陵」とよばれてきた茶臼山付近に4間四方の草庵を結んだに始まる。(『大阪府の歴史散歩 上』 46頁)

 坂松山一心寺高岳院 茶臼山の北にあり。浄土宗鎮西派知恩院に属す。……抑当寺は宗祖法然上人日想観を修し給ふ霊場なり。(摂津名所図会)

13、休居天神

 安居神社(天王寺区逢坂1−3−24)この神社は、少彦名命と菅原道真を祭神とし、道真が筑紫へ左遷の折り、当地に安居(休息)したとの故事により名づけられたという。(『大阪府の歴史散歩 上』 49頁)

 安井天神 相阪(逢坂)の上にあり。祭神少名彦名命。毎年八月二十日神祭あり。これを芝原祭といふ。今、天満宮を称して、諺に菅公筑紫左遷の御時、ここにしばしやすらひ給ふ。ゆえ此名ありとぞ。境内に連歌所を建て月並二十五日に社役の連歌あり。天津神(あまつかみ)を天満宮と紛らし称する事所々にあり。安井 社頭にあり。此辺七井の其一箇也。(摂津名所図会)


 2001.4.1作成  2008/04/14 更新     地歴探訪 伊勢物語 (内田美由紀)