『東区史』巻一口絵 仁徳天皇皇居大宮跡周辺 探索

仁徳天皇大宮跡周辺で、上(東)から順に見えるものについて資料をあげていきます。  →地図を見る


猪鹿居橋 ※現在の鶴橋。といっても橋はない。JR環状線鶴橋駅付近。

 猪甘津橋 小橋村の東、くたら川に架(わた)す橋をいふ。一名、鶴の橋。(摂津名所図会)

岡山 岡村ニ有落陽山ト号ス

 岡山 岡村にあり。大小橋命の廟所なり。此命は天児屋根命十三世の裔孫なり。神功皇后の近臣雷大臣の子なり。大職冠鎌足十世の遠祖なり。(摂津名所図会)

小橋 ※小橋(おばせ)は、摂津名所図会の項目では小橋里だけだが、絵や説明に山小橋村も見える。

 小橋里 味原郷にあり。大小橋命の館舎の地なり。旧跡小橋村の西に藤原殿といふ字の地をいふ。大系図曰、大小橋命の父雷大臣に初て卜部の姓を賜ふ。又、十一世後大職冠に藤原の姓を初て賜わる。此命を藤原殿とは後人の所作なるへし。小橋を土人「乎波勢(をはせ)」といふ。(摂津名所図会) 

難波寺 今ノ野中ノ観音   ※観音寺 天王寺区堂ヶ芝一(JR環状線桃谷駅北西すぐ)

 野中観音 東高津野中にあり。遍明院と号す。世に難波寺といふは誤りなり。此号は天王寺に限る事にや。(摂津名所図会) ※摂津名所図会では四天王寺の別名の一つに「難波寺」をあげる。

常楽院

愛岩清水 ※愛宕か?

仁徳天皇居大宮跡 今ノ高津仁徳天皇

玉野社 延喜式 比賣古曽社是也  玉野社が何神社にあたるのか、もうひとつはっきりしない。摂津名所図会の記述も比賣許曽神社高津社とでかみあわない。なお現在の高津宮は古地図の位置より、もう少し北にあり、摂津名所図会にいう西高津にある高津社であろう。

 比賣許曽神社 味原郷小橋村にあり。延喜式曰東生郡比賣許曽神社名神……三代実録曰貞観元年正月授四位下。今小橋村産土神とす。例祭正月十二日比賣許曽祭。五月五日菖蒲刈神事。十一月二十五日橋架の神事。…(中略)…当社の鎮座は年暦久遠にして詳(つまびらか)なる事、旧記に見へす。時世に移りて或は交配した又再営に及ぶあり。近くは天正の騒擾に織田信長本願寺光佐の戦に兵燹(ひょうせん)に罹り、灰燼となる。漸、村老、小祠を護て僅に遺るのみ也。 (摂津名所図会・巻三)

 高津社 西高津にあり。例祭六月十八日 秋祭九月十八日 祭神仁徳天皇 但、往古は下照姫命を祭れり。延喜式比賣許曾明神……貞観元年正月授従四位下といふ、是なり後に仁徳天皇を配祀仁徳天皇仍称仁徳帝廟といふ是なり。中古より比賣許曽と別社に祭り境内にあり。当社の旧地はここより北、今のお城の辺に有し也。天正年中に此地に移りし也 (摂津名所図会・巻四)

栴橋 ※高津社の梅の橋と関係があるか?ここでは栴檀の「栴」になっている。

栴ノ井

御津浦 ※御津は御津寺付近であったといわれている。御津寺はこの位置より北西になる。古地図では「御津浦」とあるのは上汐の西付近。海がどんどん後退したことや港に適した土地かどうかということと関係があるだろう。


      2001.4.14作成 2008/03/25 更新      地歴探訪 伊勢物語内田美由紀