古代の堀江


現在の堀江は大阪市西区にありますが、吉田晶氏の『古代の難波』を読むと、古代の堀江や江口は今とは場所が違います。

堀江は字面のとおり、開削した水路です。

仁徳十一年「宮(高津宮)の北の郊の原を掘り、南の水を引きて西海にはいる。因りて以て其水を号けて堀江という」(日本書紀)

普通、大阪の歌枕は住吉高師の浜など今でも場所がすぐわかり、あまり地名が移動していないようです。そこではその場所にあわせて歌を解釈し、情景を想像することができます。

そうは言うものの、古今集で「難波潟潮みちくれば潟をなみ田蓑の島に田鶴なきわたる」とか、

堀江こぐ棚なし小舟こぎかへり同じ人にや恋ひわたりなむ」なんて読んではいても、それがどこかなんて考えたこともありませんでした。

  堀江って、どこでしょう?

その時、見つけたのが東区史巻1の口絵の地図でした。堀江とはっきり書いてあるのです。しかし、現代の説と場所が違います。

東区史によれば、この古地図は、偽書説があるものの、むやみに無視できるものでもないということで、口絵に掲げたということです。

ところが、『なにわ大阪再発見』(第二号)に載っていた石山合戦配陣図(大阪城天守閣蔵)を見ると、川の流れが東区史の古地図とよく似ているのです。

違うところは陸地が増えているというところでしょうか?


       2001.3.26作成  2008/03/25 更新   地歴探訪 伊勢物語内田美由紀)